くまプリ

ちくまプリマー新書の感想置き場

8冊目 アイドルになりたい!

No.275

 

 昔から、アイドルに興味がありません。

 友人・知人が「アイドルの〇〇かっこいいよね」「かわいいよね!」という風に話題を振られたとしても、適当に「そうだね~」と返すだけで、顔も名前もよくわからないし、興味が湧かなかった。それは今でも続いていて、私は尽く、人にあまり興味を抱かない質なんだなぁと思ったものです。

 アイドルと聞くと、容姿だけが良いことを理由に、歌や演技、表立って表現をする場に駆り出されているように思え、なんだか中途半端な人たちだなぁと思ってしまっていたところもあります。アーティスト。俳優さん。その道のプロだってたくさんいるわけですから、そこにアイドルの方々がシャシャリ出てくるという感覚で見ていたので、なんだかなぁ。と思っていたのは正直あります。

 

 中森明夫さんの『アイドルになりたい!』を読みました。ここに書かれていたのは、アイドルは好きになってもらう仕事。だから、スキルが全て優れているとか、容姿が優れすぎているとか。そいうのでは計り知れないものを売りにしている。と、書いてあり、あぁ。なるほど。と腑に落ちてしまいました。そう考えると、私のような狭い了見で見ている人の矢面に立つことになり、大変だなぁと。そもそも、アイドルを好きになる人とモチベというか、スタンスが異なることを痛感しました。

 アイドルって大変なんだなぁ。そう思いながら今後は見ることになりそうです。

 

7冊目 ブッダの幸福論

No.77

 

 昔、とてもモテる人がいた。多分どんな人が見ても惹きつけられる容姿だと思う。見た目も素敵だが、勉強もできてスポーツは程々。才色兼備に近い人だったと思う。ただ、その人は自分を語らず、その人のことについて知っている人はほとんどいなかったと思う。そんなミステリアスさも相まって、とてもモテていたと思う。

 その人についてとある噂を耳にしたのは大人になってから。久しぶりに会った旧友から、モテモテのその人はとある宗教に家族で加入していて、恋愛だったり様々な制約を受けていると聞いた。事実はどうだか定かではないが、聞いたときになぜだか腑に落ちたのを覚えている。その後については全くしらないが、モテモテだったあの人が幸せそうな顔をしているのを私は見たことないなぁ。とふと思い出した。

 

ブッダの幸福論』を読みました。内容については賛否あると思います。あーしろ。こーしろ。こんな口調が多いものだから、割と耳障りに感じてしまうと思いますが、人はなにかに縋りたいもの。これを正しいと信じて生きていくのもまたひとつ。私は適当なのでこの通りには歩みませんが。

 

6冊目 変な子と呼ばれて

No.13

 

 私はこのブログでは自分の性別を特段公表していません。それは、私が自身の性自認に関して特殊な事情を持つためとか、そのようなわけではなく、わざわざ明示する必要も感じていないため、記してないから。というものになります。

 少し特殊な点とすれば、10年くらい前からたと思いますが、性別というものがあまり好きではない。という考えがあり、それも相まって性に関してあまり発したくないという思いもあると思います。私は自分が戸籍上の性別であることは認識してますし、自認と一致してますが、男性とか女性とか。そういう話題が好きではありません。伝わらないかと思いますが。ジェンダーレスという性別があるならそれか欲しい。そんな感覚を抱いて、今生きています。わかりにくいですね。

 

 吉永みよ子さんの『変な子と呼ばれて』を読みました。こちらは男性ですが中身は女性のミッシェル・近藤さんのインタビューのような本です。ミッシェルさんは、昭和中期位の産まれで、幼少期から自分の性別に違和感を抱き育った方です。

 今でこそLGBTが認知されてきましたが、当時は後ろ指を指されるような状態で、奇異の目で見られていたようです。これは、今の現代でもなかなか理解されてない部分ですけど、テレビ等で活躍されてる方も多く、自分が関連なければ気にしない。みたいな風潮があるように思えます。

 多様性を重んじる。そう意識的に言わないと、人は異物に想えるような存在を迫害し、嫌悪する。動物の世界のことは知りませんが、人間なんて、所詮、、、って思ってしまえて、この手の話題になると暗くなってしまう自分がいるのです。

 

5冊目 人生はゲームなのだろうか?

No.395

 

 ある程度の年齢を経た。

 歳を経るごとに、幼い頃に想像していた大人・未来とはだいぶ違うようだと感じたのは、仕事を始めたころからだろうか。

 早く大人になって、自由にお金を使って楽しく毎日過ごしたい。きっと大人は楽しいんだろう。そう思っていた。でも、実際は勉強よりも複雑でなんでこんなことをしなくてはならないのか。自由とはかけ離れた会社に拘束される日々。想像とはかけ離れていると。思い知らされるとは、思いもしなかった。

 

 平尾昌宏さんの『人生はゲームなのだろうか?』を読んだ。哲学的思考を元に、人生とは?ゲームとは?について掘り下げていき、人生はゲームかどうか?を問う本著。結論としては人生はゲームではないけど、細々したゲーム的な要素が内に含まれているという考察は面白い。また、境目がないということも、なるほどと感じさせるものでした。

 人生はゲームではないけど。ゲームのように楽しめるなら、人生は楽しいと思う。

4冊目 ゲームの教科書

No.98

 

 私にとってゲームとは特別な存在だ。

 幼い頃、外で遊ぶよりもゲームがしたくてたまらなくて、外で遊んでいる最中もゲームのことばかり考えて過ごしている子供だった。

 学校の授業。部活。歳を経て異性との交流だったり、コミュニケーションが楽しいと感じる齢になったとしても、私の頭の中はゲームでいっぱい。早くプレイしたい。次に進めたい。レベルを上げたい。次のステージを攻略するにはどうすればいいのか。もっとこんなゲームがあればいいのに、、、こんなゲームに纏わる思考・妄想でいっぱいだった。

 大人になって、時間的な制約と体力的な衰えからか、ゲームに向き合う時間は減り、いつしかやらなくなってしまった。でも、その一方で、過去ワクワク過ごしていた時の気持ちは損なわれてしまった。

 久しぶりにゲームをした。最初は面倒に感じられたが、久しぶりの感覚。ゲームの世界に没入する。ダイブする感覚を取り戻し、気がつけば夜中までプレイしていた。

 大人になっても、私はゲームが好きで、日々を楽しく過ごすために私にはゲームが必要なんだと。この時再認識させられた。

 

 ゲームの教科書を読みました。

 ゲーム好きが誰もが一度は夢見る「作る側に回りたい」という希望。そんな夢を叶えて、ゲームを作ってきた人が、ゲームを作るってどういうこと?を、簡単に説明した本である。ここに書かれているのは、一口にゲーム制作と言っても多くの人が関わり、役割分担がされ、アイデア出しやそれを形にして、納期に間に合わせ、徹夜に近い作業をする。過酷という表現は無かったと思うが、私達が楽しくプレイしている影には、多くの過酷な犠牲が積もっていることが一読してわかるものでした。

 私はプレイするだけでいいかな。ここまでの熱意は到底ないから、世にでてきたゲームに敬意を払い、今日も楽しくプレイさせて頂きます。

 

3冊目 幸せになる力

 No.78

 

 子供の頃、私は色々と物覚えが悪いタイプだった。シンプルに勉強は苦手だし、運動もだめ。太っていて見た目も良いとは言えず、物忘れもしたり不器用だし、所謂優秀とはかけ離れたタイプだった。そのため、よく親からは怒られ、ダメな奴と罵られてきた。

 それから何十年と経ち、大人になり、親元を離れて生活している。もう何年も会っていない。会っていない方が快適だし、何かを言われるわけでもないから。ただ、過去の自己肯定感を下げる日々は私自身の存在意義を失わせ、今は茫洋としてなんとか生きている。いや、ほぼ幽霊に近いのかもしれない。

 清水義範さん著の『幸せになる力』を読んだ。著者としては、幸せになることは大人になることに近しいものとのこと。対象が中高生向けに書かれているからこの様な表現になるのだろう。となると、今の世の中は大人になりきれていない人で溢れかえっている様に思える。あなたは幸せですか?と尋ねて、幸せだと応える人は少ないだろう。私もあまり出会ったことはない。

 著者のよれば端的に言うと、自分を好きになる。幸せは自分の心の持ちよう。ということになるのかと思う。そう、書いてはないけど多分そんな感じ。そして、簡単そうで難しい。それも書いてはないけど、そうだと思う。

 客観的に自分を見ることができてない私は、まだまだ子供なのかもしれないです。

2冊目 孔子はこう考えた

No.170

 

 漢文の授業で「子曰く、、、」という孔子の一文を習ったか、なんだったか分からないが、その後先生が何かを発する度に「子曰く」を連呼する友達がいた。覚えたての言葉を使うのが楽しくて仕方がないと言った感じでしょうか。とにかく狂ったように「子曰く」を連呼してた。

 この本は著者が孔子の書いた論語を元に著者の解釈を現代文に訳して「昔の偉い人は、こう考えてたんだよ」と説く本になっている。孔子の教えについて説明する本は数多く、その内の一冊という位置づけになるだろうが、この本は対象が中高生向けなので、学生が孔子の教えに触れるには分かり易いものになっている。かと言って、孔子は若い人向けにこの教えを残したわけではないから、大人が読んでも学ぶことは多々ある。

 

 あとがきで著者が15のときに〜の一文を噛み砕いて今風に訳していた。個人的にはここが一番しっくり来た。孔子でさえも大成するには時間がかかる。私のような凡人には大成するのは夢なのかしら。